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デザイナーは憧れの職業のひとつでした [思い出すなあ]

フェイスブックをやりはじめて少しした頃、
交流会がブームでした。

その中で知り合いになった人たちと
グループを作って、一時はほぼ毎月交流会をしていました。

一応、グループ内では
ビジネスの勧誘は不可、という決まりがありますが
それ以外は特に厳しいルールもなく。
一応、全く縁もゆかりもない関係のない外国の方から
グループへの参加申請がしばしばあるため
紹介制にしています。

不思議なもので、似たような人たちが集まって
何をするでもなく、ホントに純粋に交流しています。
このユルさがとても心地よいらしいです。

このグループができてすぐの頃
フェイスブックのグループの写真に
コメントをいろんな人が競うように書いて。
一晩に250コメントつけるという遊びをやったり。
...1週間ぐらい、毎晩のようにやってましたねえ。

そこで、グループのロゴマークを作ろうという
話になって。
身のあるオンラインミーティングを
1週間に1回ずつぐらい、やってました。

オンラインで話しながら、
当時はパソコンのみでフェイスブックをやってたので
簡単なお絵描きソフトでラフスケッチを作って
それをアップして、意見をもらって。

オンラインミーティングが終わったら
ラフスケッチを修正して、アップして。
また次に意見をもらったり、
少しパターンを変えたり。

そうやって、できたロゴマークは4種類。
今でも交流会になると
そのうちの2つは、大活躍しています。

このグループの性質と、
このロゴマークのテーマが合致しているそうで
このマークが大好きだ、と言ってくれる人もいます。

そういえば
昔むかし、子供の頃に憧れたなあ。
グラフィックデザイナー。

設備設計を仕事にしていた父からは
私の描いた絵とかあれこれを見て
「才能ないからデザイナーはやめとけ」と宣言されて。

学校に行ってどうにかなる技術だけでなく
やっぱり持って生まれたセンスがないと
やっていけない、と父はわかっていたのだと思います。
..ちなみに、
弟もセンスがないので設計の仕事に就くのは諦めたようです。
...果たして、父にはセンスがあったのかなあ。
 フリーながら、結構大きい仕事をやってたみたいですが。

それと、子供の頃から結婚しないと宣言していたので
食いっぱぐれのない職業に就くための
訓練をするためなら、少々の学費は出すと言われる
家庭環境でしたので。

やはりデザイナーは、早々に諦めたのです。
現在は、まあまあ食いっぱぐれない資格と
技術を持つようになりました。

デザイナーもどきのことをできるのって
忘れてた夢を、思いがけず掘り出して、
ちょこっと叶ったということですね。
やっぱりちょこっと嬉しい気持ちです。

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